私は幼少のころ身体が弱く、身体も痩せた小さな子どもでした。
北海道育ちでしたので、特に冬は身体の小さな私には過酷な環境でした。
私の住んでいた町は札幌市の郊外で、当時は住宅街から20分も歩けば川や田んぼもある田舎町でした。
お店と言えば、小さなお店が集まったマーケット、ようやくできたスーパーが1件みたいな感じでした。
私は身体が小さかったせいもり寒がりで、夏でも長ズボンをはいていた記憶があります。
冬はマイナス10度くらいになるため、昼間に外で遊んだ日には、寝るときには必ずと言っていいほど下半身が冷えきってしまい、特に下肢が痛くて眠れませんでした。
そういう時には決まって母が手のひらでパジャマの上から足をさすってくれました。
そうすると不思議なもので、痛みは消えていき、だんだん身体が温まってきて、眠りにつくことができました。身体が成長するにつれて、私も徐々に元気になり体力もついてきて、痛くなることも減ってきました。
私が成長するのと反対に、母は私が小学校高学年の頃から寝込むことが多くなりました。そして、身体のあちこちが痛むと訴え始めました。
今度は私が母の身体をさする番でした。さすっていると自分の手が徐々に温かくなる、小さな頃に自分がさすってもらっていた感覚も蘇ってきました。
それからというもの、身体が痛いという母にマッサージのまねごとをしていました。
母はごつごつした手でしたが器用で、手指の使い方がとても上手でしたので、凝りの時にはどの指に力を加えればいいかといった手指の使い方などを教えてくれました。
人の不安な場所に手を当てる、触れることで心身の苦痛を和らげる行為が『手当て』の語源という説もありますが、そんな『手当て』の素晴らしさに気を付かせてもらった子どものころの大切な記憶です。